丸山 茂樹
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突然ですが、私は今の日本ゴルフ界を引っ張っている人物、丸山茂樹プロと同学年です。
(丸山茂樹プロは1969年、私は1970年の早生まれ)
同じ学年の人物がアメリカのPGAツアーで戦っている、しかも22001年から3年連続で
勝利を飾ったというのは、本当に誇りに思います。
丸山茂樹プロは169cm。
身長は確かに高くはありません。
しかし日本ツアーにいた頃と比べ、TV画面でも見てお分かりいただけるように
鍛えて&食事にも気を使い、アメリカPGAツアーで戦える体つきになっています。
10歳からゴルフを始め、アマ時代はなんと37冠!
(日本学生2勝など)ですが、意外にも日本アマは未勝利。
プロテストは一発合格で1992年からツアー参戦。
1993年にペプシ宇部興産で初勝利。
その後も着実に日本プロなど優勝を重ね、通算9勝。
2000年からアメリカPGAツアーに参戦。
2001年ミルウォーキーオープンでアメリカツアー初勝利。
日本人プレーヤーとして青木功プロに次いで2人目、アメリカ本土では初めて。
2002年バイロンネルソン・クラシック、2003年クライスラー・クラシックと3年連続で勝利。
3年連続の勝利はタイガー・ウッズ、ジム・フューリック、
ジャスティン・レナードに次いで4人目の快挙となりました。
2004年こそ未勝利となりましたが、シネコックヒルズで行われた全米オープンで4位となり、
2002年の全英オープン5位に次ぐ、優勝争いを展開、日本人初の
メジャー制覇の夢をぐっと引き寄せてくれました。
丸山茂樹プロのPGA参戦を少し振り返ってみたいと思います。
2000年のツアー初戦はハワイでのソニー・オープン(以前のハワイアンオープン)は9位タイ。
上場の滑り出しを見せます。
第2戦は、カリフォルニアでのビュイック・インビテーショナル。前年の優勝者はタイガー・ウッズ。
丸山プロは2日目に64の好スコアをマークし、フィル・ミケルソンらと並び首位に立ちます。
このとき、「タイガーの連勝記録を止められると思いますか?」の記者の質問に
「ノーチャンス」と答えます。
「好きな食べ物は?」には「チーズバーガー」で共同記者会見場を爆笑の渦にしたそうです。
3日目も67で踏ん張りますが、2位に一歩後退。
最終日も踏ん張りますが、ミケルソンに4打及ばずタイガーとともに2位タイのフィニッシュ。
第3戦は、アンダーセン・コンサルティング・マッチプレー選手権。
1回戦ジョン・ヒューストン、2回戦ジャスティン・レナードを下し、
3回戦でタイガー・ウッズと激突。
しかし4アンド3で完敗。
その後もドラールライダーオープンで4位タイなど、好調を維持し続けました。
そして2001年、ミルウオーキーオープン。
最終日、首位と1打差でスタートした丸山茂樹プロは通算18アンダーで
チャールズ・ハウエル�世とのプレーオフに。
プレーオフ1ホール目でバーディを奪い、念願の初優勝!
そしてこの優勝がフロックでないことを2002年に証明します。
5月の準メジャー、バイロン・ネルソン・クラシック。
初日は67で22位。
2日目はこの日のベストスコア63をマークし、一気に首位に立ちます。
この時点でタイガーとは6打差。
このとき、記者の
「タイガーと最終ラウンドで直接対決になったとしたら勝機は?」
の質問に「リトルチャンス」。
1年前、同じ質問に「ノーチャンス」と答えていたときとは明らかに"心"も成長していました。
3日目は強風が吹き荒れ、スコアを落とす選手が続出する中で、68にまとめ、
通算12アンダーで首位を守ります。
最終日、タイガーが文字通り「タイガーチャージ」で猛追。
エルスもホールインワン、飛ばし屋ベン・クレーンもイーグルを取り、丸山茂樹プロを
追いかけてきます。
丸山茂樹プロはショットの微妙なずれをパットでカバーし、結局2位と2打差で優勝。
表彰式でバイロン・ネルソンに
「彼ほど笑顔を絶やさずにプレーをする選手を見たことがない。
優勝してくれて本当に嬉しい」
とのコメントをもらい、このころから「スマイリング・アサッシン(笑顔の暗殺者)」
と呼ばれ始めました。
2003年もクライスラークラシック・グリーンズボロでアメリカツアー3勝目を上げました。
この2003年は春先から首から左肩・左肘、手首と満足にゴルフクラブも握れない日々が続き、
故障と闘っていた年でした。
それだけにシーズン終盤に差し掛かってのこの優勝は感激もひとしお、私もテレビ画面を
通じてもらい泣きしたほどでした。
2004年は勝利こそなかったものの、伊沢利光プロと組んでワールドカップで優勝。
日本人初のメジャー制覇を是非とも丸山茂樹プロに成し遂げてもらいたい。
私も早く、1ゴルファーとして日本のゴルフ界に貢献できる日がくればと思い、
日々を過ごしたいと真剣に思っています。
